呉服町名店街・紺屋町商店街・エキパ一部・両街町通りを障害者をグループになって歩きました。
一人で歩いたり、介助を受けながら歩くときにどの様な場所や場面に気をつけているのかや、気になっていることなど再確認をしながら、一人で歩くときの道案内と目印になる音・有名ショップなどにも意識して探索してみました。
街の名前
呉服町 ゴフクチョー
家康在城の時、御用呉服商人が居住した。町に出てくる人を目当てに市が立ち、商売妨害との理由で町奉行所へ出店規制を訴っえた資料が残る。
現存 材木町 ザイモクチョー
慶長年中、浅間神社建立のための材木を安倍川原に積み置いていたことから、やがてこの地に木材を商売とする人々が居住した。
現存
七間町 シチケンチョー
2説あり㈰通りの幅が七間(13m)、㈪専売品七品目(米、油、魚、木綿など)の座(同業組合)があった。駿府のメインストリ−トで東海道の道筋に面し、木工品、寄木細工、竹細工、漆器の店が多く、オランダ商務員が買い付けに来た記録あり。シーボルトも立ち寄る.・
消滅 下魚町 シモウオマチ
徳川慶喜が謹慎一年目を送った宝台院のあった町。現在は常磐町
消滅 下桶屋町 シモオケヤチョー
駿府城の台所御用の桶職人が居住。現在は昭和町、常磐町
消滅 下石町 シモゴクチョー
石は穀物をさし、米座(米穀商)の人々が居住。現在は七間町、常磐町
消滅 常慶町 ジョーケイチョー
家康家臣の松下常慶屋敷跡。江戸特代通して浄土真宗教覚寺のみの町.現在は常磐町
染め物の町から繁華街へ
御用染物師の町。町は、用水が染料に汚染されて町民が困らないようにと下流の駿府の外れに付置した。その先、静岡駅にかけた一帯は清水尻(しみんじり)と言われる湿地帯だった。公害問題〃にまで気を配った町割りといえる。現在はデパートや商店などの商業ビルが立ち並んでいる。
ビルの谷間の「小梳(おぐし)神社」は、延喜式神名帳(905)に出てくる千年以上の歴史を持つ神社。少将井宮(稲田姫)が祭られ、江戸時代には「少将の宮」とも呼ばれていた。
元は青葉小学校の所にあり、慶長十四年(1609)の駿府城拡張で城域に入り、駿府城の守護神としても信仰された。後に現在地に移った。当時の祭札は屋台などが繰り出し、大いににぎわったという。
また、東海の名園としてしられる料亭「浮月楼」は、もと代官屋敷で、徳川十五代将軍慶喜が明治二年、宝台院での謹慎を解かれ、移り住んだ。その際、当代一と言われた庭師・小川治兵衛を京都から呼び庭の手入れをさせたことから、名園として現在も引き継がれている。
慶喜が同二十一年、西草深に転居後、名園保存を条件に民間に払い下げられ、「浮月亭」として上流階級の社交クラブに使われた。
慶喜の静岡での生店は三十年間に及び、江戸を追われた身でありながら悠々自適の生店を送っていた。当時としては珍しい油絵を手がけるなど趣味は幅広く、新しもの好きで、自転車を市内で初めて乗り回す「ハイカラさん」でもあった。
浮月楼のおかみ、久保田志づさんによると、慶喜は「すずりのすり方まで口を出す」ほど神経質で口うるさいところがある反面、書の書き損じをところ構わず捨てる」など、がさつな面もあったという。




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